束縛があるからこそ私は飛べるのだ
悲しみがあるからこそ高く舞い上がれるのだ
逆境があるからこそ私は走れるのだ
涙があるからこそ私は前に進めるのだ


ガンジー










エピローグ    太陽がいっぱい















男が女のことを考えているここはどこなのだろうか。
あれから十数年。歴史の石は水を切って跳ね空中に飛び、再び着水する。
水面下で男と女は年齢を加えた。
今の男は医者。この町で年中忙しい。それでもどんな軽症の患者にも包帯を巻き過ぎると評判だ。


午後、電話が鳴る。女の声で時間を告げられる。
その声でふと記憶の引き金を引かれる。
下校途中、公衆電話で想い人に電話をかけていた、あの笑顔。
男は診療所を閉じる。机の上には多量の書類があり扇風機で吹き飛ばされないよう重しで
押さえてある。石やインク壷、娘がもう遊ばなくなったおもちゃで。






男は自転車に乗り、市場を抜けて家までの4マイルをこぐ。できるだけ道路の日陰側を選んで走る。
日差しが強すぎる。ふとそう思う。男もそんな年になった。
男はヤナギ並木の下を走り家の立ち並ぶ小さな一角で止まる。自転車を抱えて石段をおり
女が大切に手入れしている庭に入る。



男は庭に座り、帰ってくる女を見つめる。
左手で買い物袋をぶら下げ、右手で大きなひまわりを抱えている。時を重ねても女は意志の強さを
失わない。今も左から振り返り、お菓子を入れた袋を大事に抱えてついて来る小さな娘に腰をかがめ
て何か話し掛けている。男は女のために医者になった。傷を癒すため、共に暮らす。






庭に出したテーブルで、男は食器と格闘している娘の姿を眺める。小さな手で巨大な武器を操ろう
としている。
男はあまり冗談を言わなくなった。女も男をバカとあからさまに呼ばなくなった。
だが女は娘に英語と独語を教え、男のわからない会話でクスクス笑い合う。
まるで娘を男から遠ざけ、独占していたいかのよう。娘の名はレイ・・・いつも女に寄り添っている。



あのときに戻りたい、という衝動が湧く。あの時、2人はきわめて近しかった。
だがネルフにいるときも家にいるときも、2人の間にはいつも波立つ川のような空間があった。
人造人間だと言い張るロボットにもまだ乗っているような気もする。あのLCLに満たされたまま夢を
見ている気分。
当時を思い出す時、男は女だけでなく自分自身にも目を見張る思いがする。若々しく一途だった。







思い出を切り裂くように電話が鳴った。男は席を立ち、室内に戻り受話器を取る。
「もしもし」
「もしもし」
男は幼い女の声に少し戸惑う。











「アタシよ、シンジ。聞こえてる?」
「え、ああ、聞こえてる」
「元気?」
「元気だよ」

男はもう驚かない。全ての人間が液体になるのを目撃し、世界の崩壊を体験したのだ。
今、食事を共にしている女の過去が、時を越えて声を届けてきても不思議に思わない。

「そっちはどう?」
「静かだよ」
「アンタは何してるの?」
「お医者さんだよ」
「へぇ・・・アタシって近くにいるの?」
「ああ、いるよ」
「ふうん、そうなんだ」
「お前またスイカバー学校帰りに買い食いしてんのか?」
「う・・・」
「どうせ家帰ってからまた食べてお腹壊すんだから、やめとけって言ってただろ?」
「アタシ、元気にしてるの?」
「え?ああ、元気だよ」
「なら、いいじゃん」
男は笑った。幼い女の声も笑った。





「ねえ、シンジ」
「何?」
「アタシ、特別でいられてる?」
「ああ、もちろん」
「ふうん」
男は懐かしさに惹かれ耳を澄まし、幼い女の声から感情を読もうとする。
「アタシ、笑顔でいられてる?」
「うん、もちろん」
「そう・・・・・・・」
受話器の向こうで息を吸い込む音がする。







「ずっと変わらず、好きでいられたら幸せね・・・」






返事を待たず、幼い女の声は途切れた。
男は受話器を置き、食卓に戻る。女の横顔を見つめる。あどけない少女の頃の面影が重なる。
スイカの、甘美な思い出の香りが誘う。
しなやかな腕が恋した女の方へ伸びていく。冷蔵庫の中にはたくさんのビールの缶。
腕が女の肩に届く。ベッドに仰向けのペンギンが眠る。



女が男に気づき、顔をこちらに向けて微笑む。娘も男に微笑む。
遠くを見つめる。ひまわりが望む日差し、庭の向こう、赤い海に思いを馳せる。
還ってきた人々、還ってこなかった人々、失われたモノ、やがて来る新しい時間、たくさんの笑顔、声
思いを馳せる















・・・太陽に溶ける海



































おわり


最後まで読んでくれてありがとう。またどこかでお会いしましょう(*^ー゚)b

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